テニュアを付与された大学生

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「大学が入りにくく出やすい」というのは、知っている限り日本の大学制度の特色だ。それをきっかけにして今日はインセンティブについて話したい。Freakonomicsの本(日本語で超ヤバイ経済学)を読んで最も面白かったのは人達のインセンティブに対する反応のテーゼだった。そして、日本の大学制度はそのテーゼの典型例の一つのだと思う。

一流大学を卒業すると一流企業に入れるということで、高校生には難関大学に入る強いインセンティブがある。その結果、入試を合格するためお金と時間を投資して塾に入って一生懸命頑張る。僕は受験地獄を経験したことないから、自信を持って言えないが、高校生は塾に行く理由の一つは、周りの人がみんな行っているからじゃないかと思う。周りの人に負けないように、入学確率を1%でも上げるなら行くインセンティブがある。グロバル・インタラクションと呼んでもいい。

しかし、入学後の学生には大学で頑張るインセンティブが蒸発される。多くの授業で出席と最終レポートの提出だけで単位が獲得出来て、就活を始めるまで部活や趣味で大学の生活を自由に楽しめる。勿論、一般化している、素晴らしい教員や学習意の欲強学生がいっぱいいるが、描いた大学生の生活を疑っているなら周りに聞いてみてください。

これは、教員のテニュア制度に似ているじゃないかと思う。ウイキペディアによるテニュアを「大学等の高等教育における教職員の終身雇用資格(期間の定めのない労働契約)である」と定義されている。テニュア制度は良いところが幾つかあるが、テニュアを付与されるまで必死に頑張るインセンティブがありながら、付与された後の教員には頑張るインセンティブが消える。そして、引退するまでのんびりすることが出来るようになる。またまた一般化している、いうまでもなく教育でも研究でも頑張っている先生が多いが、そういうインセンティブの存在を否定出来ない。そのインセンティブは入学後の大学生と全く同じだ。実は、周りにいる幾つかの教員に「大学が入りにくく出やすい」の現象について聞いてみた結果、多くの先生はおかしいだろうと答えられた。ならば、なぜ制度が変わらないのか。個人的に、仮説が幾つかある:

  1. 慣性。これは説明する必要ないだろう。
  2. 権力を持つ教授には制度を変えるインセンティブがない。どうせ、既にテニュアを持っているだろう。
  3. 欧米の大学に比べると、若手教員は教育の責任が少ない(少なくとも国立大学ではそうだ)。ということで、教育熱心のある若手教員が制度を変えたくても、その機会は少ない。そして、運が良くて、テニュアを付与された場合は、まあ、2に参照してください。
  4. そして、最も重要なのは日本の就職活動制度だ。卒業する前に内定をもらえるということは予定通りに卒業して新年度に入社するという前提で、学生は3月に必ず卒業しないといけない。勿論、大学は卒業の要件を満たさないと卒業をさせないことが出来るが、そうした場合、会社が内定を取り下げる。そして、予定通りに卒業出来るかどうか分からない大学の学生を採用したい企業があるのか。

以上を踏まえて、現在の制度はおかしくないだろう。さらに、学生の人口が減りつつ、学生数を維持続けるため、多くの大学はこの「大学生のテニュア制度」を変えるにはいけないだろう。しかし、日本は優秀な人材を受け入れて、国の競争力を上げるため、この課題を取り組まないといけない。それは難関大学と呼ばれる大学の役割だ。

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